宮城県仙台市宮城野区のやすらぎの杜整体院です。
読書日記です。「弓と禅」という本を読みました。

弓と禅(オイゲン・ヘリゲル著) 整体院のお薦め本

新訳 弓と禅 付・「武士道的な弓道」講演録 ビギナーズ 日本の思想 (角川ソフィア文庫)
新訳 弓と禅 付・「武士道的な弓道」講演録 ビギナーズ 日本の思想 (角川ソフィア文庫)

オイゲン・ヘリゲルというドイツ人が阿波研造(あわ けんぞう)という弓道の達人の元で稽古に励みある境地に達するまでのことを書いたものです。

この本はとても有名な本で、精神世界やスピリチュアルな本の中で時々引用されています。私もいろんな本の中で紹介されているのを読んできました。

だいたい紹介されているエピソードは同じもので、どの本でもだいたいそのエピソードが紹介されています。

阿波研造の弓道に対する考えはこのようなものでした。

術(テクニック)としての弓を否定し、道(精神修養)としての弓を探求する宗教的な素養が強かった。目を殆ど閉じた状態で弓を絞ると的が自分に近づいてきてやがて一体化する。そこで矢を放つと「狙わずに中てる」ことが可能になるというのである。『弓と禅』では、オイゲン・ヘリゲルを初めとする弟子達の前で、殆ど目を閉じた状態で放射している(オイゲンが筋肉を触ったところ、筋肉にも力が入っていなかったと証言を記している)。

出典:wikipediaより

的を狙って当てようとせずに、的と自分が一体になり、自分で矢を放つのではなく勝手に矢が放たれるというのです。ヘリゲルは何年も稽古をするのですがなかなかその意味もわからず、出来るようにもならずに苦労し悩むのです。

そして以下のようなエピソードがあります。

「心で射る弓」弓禅一如の体現者として、阿波研造には以下のようなエピソードがある。

ドイツ人哲学者オイゲン・ヘリゲルは日本文化の研究のため弓術を研究することにし、阿波に弟子入りした。しかし、狙わずに中てる事などという阿波の教えは合理的な西洋人哲学者に納得できるものではなく、ヘリゲルは本当にそんなことができるのかと師に疑問をぶつけた。阿波は、納得できないならば夜9時に私の自宅に来なさいとヘリゲルを招いた。

真っ暗な自宅道場で一本の蚊取線香に火を灯し三寸的の前に立てる。闇の中に線香の灯がゆらめくのみで、的は見えない。

そのような状態で阿波は矢を二本放つ。一本目は的の真ん中に命中。二本目は一本目の矢筈に中たり、その矢を引き裂いていた。暗闇でも炸裂音で的に当たったことがわかったとオイゲンは『弓と禅』において語っている。二本目の状態は垜(あづち)側の明かりをつけて判明した。

この時、阿波は、「先に当たった甲矢は大した事がない。数十年馴染んでいる垜(あづち)だから的がどこにあるか知っていたと思うでしょう、しかし、甲矢に当たった乙矢・・・これをどう考えられますか」とオイゲンに語った(オイゲン・ヘリゲル著『弓と禅』より)。

出典:wikipediaより

完全に自我が無くなって自分が射るのではなく「それ」が射るのだ、という表現がされていました。

これは単に弓術の達人の逸話ということではなく、どんな分野でも道を究めていくと到達できるものなのではないかと思っています。

 

「弓と禅」と「整体」の関係

なぜこの本を整体院のお薦め本にしたのかというと整体にも通じる話だと思うわけです。

「相手を治そう」「痛みを取ろう」としている間は的を狙って技術で弓矢を捉えているような状態です。

治そうという自我を捨て去り、ただ無心に相手に寄り添った時に、ベストのタイミングで勝手に矢が放たれる、すなわち自然に治癒する、という境地があるのではないか、と考えるわけです。

その境地に至った時には、自分が治してあげているわけでも相手が治しているわけでもなく、ただ自然にそれが起こるということが起こります。神のハカライ、天のハカライと言ってもよいでしょう。

弓と禅を読んで良かったなぁと思ったのは、他の本で紹介されているエピソード(このページにも書いた上の引用)以外のこともいろいろわかったことです。

ヘリゲルはあまりに阿波研造の言う事が出来ないものだから、何年か経ったときにテクニックに走るんですね。それで一見上手に的を射るのですがテクニックに走ったことを一瞬にして阿波研造に見抜かれて破門になるのです。

でもそれからあれこれ言い訳をしてまた許してもらって、心を入れ替えて稽古に励むわけです。そして6年が経ちヘリゲルが「その境地」に達したときに、阿波研造は弟子であるヘリゲルに対して深くお辞儀をしたのです。

それはヘリゲル個人に対してのお辞儀ではなく、ヘリゲルを通じて現れた仏に対して礼をしたのです。ヘリゲルが完全に自我を捨てて自然に矢が放たれるという境地に至った時にそれを阿波研造もはっきりと見抜いたのです。

整体を通じてそんな境地に至ってみたいと思うわけです。

治ったとか痛みが取れたとかの次元を超えて、仏(=神=宇宙)と一体となる体験。そんな整体を目指しています。