古武術(大東流合気柔術)と多次元操体法について考察します。

私は古武術に対する憧れがありました。

袴をはいた小柄な老人が、筋肉隆々の大男を軽く投げ飛ばしたり、何人かに手足を押さえこまれても逆に相手を崩してしまうような動画を見たことあるでしょう。パッと見るとヤラセじゃないのか?と疑ってしまいますよね。

もし本当なら、そのような達人技を知りたいし少しでもできるようになってみたいものだと思いました。きっと自分が知らなかった身体の使い方も学べるはずだ、という想いもありました。

通える範囲のエリアであることや、武士の時代から伝わる理に適った身体の使い方を学べそうなところを条件に探したところ、大東流合気柔術という古武術の道場に出会いました。

平成24年頃に入門したのですが、仕事帰りに隣の市の道場まで通うのがしんどくなって一旦やめたのですが、後に仙台市内でも稽古が受けられることがわかり三年後に復帰しました。

参加したり休んだりかなりいい加減なペースで参加していますが、操体法との共通点もあるので時々参加しながら続けています。

古武術と整体の共通点

古武術と整体にはいくつかの共通点があります。

古武術ではより少ない力で相手に大きな影響を及ぼします。そのような意識や身体の使い方をすれば整体の効果も高まると考えています。

大東流合気柔術の稽古では、攻撃側の人が受け手となる人の身体をしっかり押さえます。それを受け手側は腕力に頼らないで攻撃側の人を崩したり投げたりします。

腕力に頼ると表面的な力のぶつかり合いとなります。それでは腕力の強い人がいつでも強くなってしまいます。

稽古には腕力の少ない女性や小学生も参加していますが、技が決まると大人の男性も軽く転がされてしまいます。

そのような身体の使い方を稽古を通じて養っていくのです。これは整体を行う上でも非常に役に立つと考えています。

上達するほどに余計な力は使わなくなり、必要最小限の力で相手に大きな影響を及ぼすことが出来る様になります。表面ではなく相手の深いところに技が効かせられるようになるのです。

古武術と快適感覚

大東流合気柔術の老師から投げられるととても気持ちが良いのです。下手な初心者に投げられると気持ちが悪い。

この快、不快の感覚は何が違うのだろうと考えてみると、老師に投げられるときは優しく転がされるわけです。 こちらが全力で押さえても簡単に優しく転がされます。力がぶつかっていないのです。

一方初心者の場合は力で技をかけますから、力比べのようになって非常に疲れます。投げられても気持ち良くないのです。無理やりやられてる感じがします。

そして老師に技をかけられると、そこから動きたくなくなるくらいに気持ちが良い。これは操体法の操法を受けている時の感覚に非常に近いです。

だから綺麗に技をかけられるとそれだけで身体の歪みも整うし、健康にも良いのです

分野は異なりますがそういう共通点を見出していくことも稽古の楽しさの一つです。

内側の感覚を磨く

技をかけられるときに、相手の技が自分の身体の内側にどのように作用しているのか?これを丁寧に感じることも学びになります。

技が綺麗に決まっている時と、そうでない時は何が違うのか?その違いがわかってくるとそのまま整体にも活かせます。

力がぶつからずに自分の内側にすーっと入ってくると、気持ち良く体は崩されて技がかかります。操体法の操法を行う時もそのような身体の使い方をするとうまく行きます。

私は操体法の講習会を毎月開催していますが、身体の感覚が良い先生ほど習得も早いです。受け方が上手な人ほど相手に操法をやるときも上手にできる傾向があります。

操体法は感覚の世界のやり取りなので、書籍やDVDだけで習得することは不可能です。非常に古武術の稽古に近いものがあると感じています。

自分の内側の感覚が開かれるほどに、より繊細な情報を受け取れるようになりますし、より繊細な働きかけが出来るようになります。、整体の深度、精度ともに高まっていきます。

整体テクニックを超える 感覚の共有

古武術でも操体法でも、先生の真似をして形だけやってみてもできません。(多少の効果は出ますが)

より高い効果を得ようとするなら形や表面的なテクニックを超えた部分を体得しなくてはなりません。

それは自分の内側の感覚で「これだ」という確信が得られると同時に、相手の感覚もわかるようになります。しっかり相手に刺激が届いている感覚です。感覚がしっかり共有されるのです。

操体法では相手に感覚を問いかけながらセッションが行われます。しかし自分自身の感覚も磨くことで相手に対する問いかけも最小限になっていきます。

相手の感じている感覚や気持ち良さも、自分の身体に伝わってくるようになります。綺麗に技が決まっている時には言葉で問いかけなくともわかるものです。伝わってくるものがあります。

技が決まっていない時も同様にそれもこちらに感覚として伝わってきます。

多次元操体法が目指すところ

多次元操体法では従来の操体法の枠にとらわれず、本質の世界を追究していきます。

より高い調和度を目指します。エネルギーロスを極限まで減らして本当に必要な刺激のみ抽出していきます。年々刺激量も少なく、時間も短くなっていますが、反比例するように身体は変化はより深くより調和して来ています。

最終的には軽く触れるのみ、もしくはまったく触れずして、その人の心身のバランス(目に見えないエネルギーも含めて)が、自然に調和していくような整体の在り方を目指しています。

一方的な働きかけでもなく、単なるセルフケアでもなく、人と人のエネルギーが融合したときの素晴らしい反応が引き起こせるような触媒になりたいと思っています。

綺麗な夕焼けを見て感動する。綺麗な花を見て感動する。雄大な景色を見て感動する。そこに理屈はありません。夕焼けも花も何も考えていないし、何の意図もありません。ただそこに感動があります。

ただ一緒にいるだけで癒しが起こる。そんな自然な存在になりたい。

多次元操体法の実践を通じてそういう在り方を追究していきます。

(2016年6月)