宮城県仙台市宮城野区のやすらぎの杜整体院の上川名です。

ここ最近のマイブームはアサラトです。西アフリカ発祥の民族楽器です。四年ほど前に購入し、しばらく夢中で練習していました。YouTubeの動画を見ながら独学です。数ヶ月やって独学の限界を感じてそのまま辞めていました。

四年ぶりに練習を再開しました。またしばらく飽きるまでやります(^-^)

原始的な取り組み

このようなマイブームが時々訪れます。これまでやったものはアサラト以外では、ディジュリドゥ(アボリジニーに伝わる世界最古の木管楽器)、けん玉(ストリートkendama)、ロックバランシング、大東流合気柔術、などに取り組みました。

すべて原始的でシンプルな道具を使うか、または道具を使わないものです。伝統的なものにそのようなものが多いです。

それらはすべて操体と繋がっています。多次元操体的に感覚を磨いたり、新たな脳神経回路を創ったり、身体操作を向上させたりという目的で行っています。すなわち、それらの趣味的な行動も私にとっては多次元操体法の一環として行っているのです。

体の使い方を高めたり、感覚を高めるには原始的なワークが好都合です。ごまかしが利かないからです。

それらがまったく出来なかったときの自分と、ある程度出来るようになった自分が、同じ操法を行ったとしたらきっと後者の方がより精度の高い操法になっていると思うのです。

気づきと真理

実際、それらのワークを通じて新たな感覚が拓かれたり、新しい視点が出来たりということがあります。今まで気づけていなかったことに気づけるわけです。

気づくということは、一歩「真理に近づく」と言うことです。

だから気づきが得られると言うことは凄いことだと思うのです。私がいろいろなことに取り組みたくなるのは、より真理に近づきたいということが根底にあるのだと思います。

気づいたからどうなの?だからどうした?と思われるかもしれませんが、気づきの価値、気づくことの力って凄いんです。「気づき=癒やし」でもあります。気づくことでヒーリングも起こります。

そういうことがわかってから、気づく事って大事だなぁと思うようになりました。気づくというのは、「わかる」「理解する」「知る」とも違ってます。言葉の限界がありますが、気づいているだけで凄いんですよね。

そして気づきのきっかけは日々瞬間瞬間、日常のいろいろなところに潜んでいます。

これからもいろいろなことに気づいていきたいです。