院長プロフィール

「本来の自分に戻る整体」~心身一如の視点から~

こんにちは。プロフィールをご覧いただきありがとうございます。私はこれまで20年以上にわたり、整体を通じて心と身体のバランスを整え、「人間本来の健康と生命力を取り戻す」ことを目指し続けてまいりました。

私自身、大学時代に心身の不調を経験し、長年にわたって試行錯誤を重ねてきました。西洋医学的なアプローチでは回復が難しく、民間療法も根本的な改善には至らない――そうした限界を感じ、自らの回復のために身体の仕組みや治癒の原理を学び始めたのがこの道の始まりです。

私たちの体は、単なる物理的な構造ではありません。内側には感情、記憶、価値観なども影響を及ぼしており、心と身体は常に相互作用しています。「心身一如(しんしんいちにょ)」という東洋の考え方にもあるように、心と体は切り離せない存在なのです。

整体は単なる痛みや不調の改善にとどまらず、生き方や自己認識にも変化をもたらす力があります。あなたが本来の自然なリズムを取り戻し、心地よく生きるためのサポートを、これからも全力で提供してまいります。ご自身の内なる声に耳を傾けたい方、不調の奥にある原因と向き合いたい方は、ぜひ一度ご相談ください。

整体にかける院長の想い(インタビュー動画)

院長の生い立ち、整体にかける想い、整体院の在り方などを語ったインタビュー動画です。(※開始1分頃から音声スタートします。)

院長の経歴

当院の骨盤矯正とその特徴

やすらぎの杜整体院 院長

上川名 修(かみかわな おさむ)

1972年 仙台市生まれ|信州大学卒業

私が整体の道に入ったきっかけは、自らの心身の不調を克服した体験にあります。過去にはパニック障害、自律神経失調症、慢性腰痛などを経験し、病院や薬に頼るのではなく、自分自身の力で回復する道を模索してきました。この実体験こそが、私の整体の原点であり、現在の施術やカウンセリングの礎になっています。

2004年に「やすらぎの杜整体院」を開院して以来、20年にわたり延べ4万人以上(開業前からも含めると5万人以上)の施術を行ってきました。特に慢性症状の改善に力を入れており、「どこに行ってもよくならなかった」とお困りの方に対しても、心と体の両面からアプローチし、根本からの回復をサポートしています。

これまでに学んだ主な技術・手法

操体法(基礎・応用)、クラニオセイクラルワーク(頭蓋仙骨療法)、EFT(感情解放テクニック)、DNM(デルモ・ニューロ・モジュレーティング)、活法整体、筋膜リリース、カイロプラクティック(ディバーシファイド/トムソン/アクティベーター)、モティリティ・ワーク、ヒーリング/気功 など。

これらの技術や理論をベースに、施術では常に「その方の全体性(ホリスティック)」を重視し、単なる対症療法に留まらない本質的な癒し自然治癒力の回復を目指しています。

多次元操体法の書籍・DVDを出版(Amazonランキング1位)

多次元操体法の書籍・DVDがAmazonランキング1位

院長の著書『人生が変わる整体術 ― 身体・心・魂を癒す「多次元操体法」実践ガイド』では、整体の手技にとどまらず、自然の法則と調和することで心身のバランスを整え、人生そのものを健やかに導く方法を解説しています。

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当院独自の整体「多次元操体法」は、その施術体系が評価され、DVDとして全国発売されています。身体が本来持つ知性を引き出し、自律神経と骨格のバランスを自然に調和へ導くアプローチは、理論から実技まで体系的に構築されており、専門的な施術法として全国に発信されています。

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心身一如の整体「多次元操体法」DVD

多次元操体法は、DVD化され全国で発売されている本質的な施術法です。身体の知性を引き出し、自然と整うプロセスを大切にしたアプローチを、理論から実技まで体系的に収録しています。施術の本質や感覚、そして“在り方”まで学べる内容となっています。

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著書「人生が変わる整体術」のご案内

2024年9月出版(Amazon売れ筋ランキング1位獲得)

当院で行っている「多次元操体法」は身体の不調を改善するだけでなく、心と魂を癒し、人生がより良く変わる可能性を秘めた整体術です。自然法則と調和して健康で幸せな人生を実現する方法と、効果的なセルフケアを一般の方にもわかりやすく解説しています。

>>詳しくはこちら

多次元操体法セミナー主催

多次元操体法整体セミナー

独自に創案した整体「多次元操体法」のセミナーを150回以上開催しています。柔道整復師、鍼灸師、按摩マッサージ師、理学療法士、作業療法士などの国家資格者やカイロプラクター、整体師など資格を問わず技術と哲学を伝道しています。全国各地の250人以上の治療家の先生方に直接指導をさせて頂きました。

>>多次元操体法講習会について

整形外科の医師と一緒にセミナーを開催

整形外科でセミナー
整形外科で講演をする院長(2018年6月)
長田整形外科セミナー
セミナー実績(ホログラフィックスペシャルWS)

2018年6月に東京の田園調布長田整形外科にて、医師の長田夏哉先生と僧侶で一般社団法人ブッダプログラムの齊藤つうり氏とともに二日間にわたる「健康と生き方」に関するセミナーの講師を務めさせて頂きました。

当院の整体や健康哲学にご共感頂いた長田先生と齊藤つうりさんからお声かけ頂きコラボセミナー実現の運びとなりました。整体のジャンルを超えて、「真の健康を取り戻し幸せに生きるための情報発信」を行なっています。

メディア掲載・取材実績

院長のメディア掲載、取材実績を紹介します。武道雑誌「月刊秘伝」、全国的に有名な健康雑誌「わかさ」や地元仙台の新聞社、河北新報社が発行するフリーペーパー「河北アルファ」の取材を受けました。

武道雑誌「月刊秘伝」2026年5月号

多次元操体法の月刊秘伝記事

『わかさ』(2012年3月号/脊柱管狭窄症特集)

雑誌掲載実績 わかさ院長の雑誌掲載記事 わかさ

『わかさ臨時増刊』(2012年4月号/脊柱管狭窄症に勝つ)

雑誌掲載実績 わかさ別冊院長の雑誌掲載記事

『河北アルファ』(2009年6月号/むくみを取ってすっきり美脚に)

マスコミ掲載実績 河北アルファ

『シティリビング』(2010年6月号)

雑誌掲載 シティリビング

※出版社に金銭等を支払っての広告掲載ではありません。
純粋に取材を受けた記事です。

手技療法業界で教材発売

出演DVD
院長の出演DVDやCD

手技療法業界の教材販売会社カイロベーシックより書籍やDVD、音声教材などが発売されています。

来院するクライアント様に喜んで頂くために私が心がけて取り組んできたことをまとめて出版させて頂きました。
発売と同時に全国のたくさんの先生方に受け入れられ、販売会社の当時の新記録を更新するほどのヒット教材になりました。

手技の向上のために古武術や気功も学びました

私は触れ方を磨くために気功の先生のレッスンを受けたり古武術の道場に通いました。

大東流合気柔術1 大東流合気柔術

触れ方だけでなく体の使い方や所作、そして人との向き合い方も学びました。

心身統一合氣道、大東流合気柔術、心身楽道、クラニオセイクラルワーク、モティリティワーク、ロルフィング、アレクサンダーテクニーク、フェルデンクライスメソッド…等々。触れ方や体の使い方を磨くための優れたワークやレッスンを受講してきました。


さらに詳しい院長の生い立ちや人となりを知りたい人は読み進めてください。

院長のさらに詳しいプロフィール

最初の記憶

私の人生で最初に残っている記憶は、赤ちゃんの頃に受けた鼠径ヘルニアの手術のときの場面です。医師と母親が話している会話の内容を断片的ではありますが今でも覚えています。

実際には、0歳のときと1歳のときに二度手術を受けていたそうです。しかし、そのことを私は長い間知りませんでした。幼い頃から頭の中にぼんやりと残っていたその場面も、ずっと夢の記憶だと思っていたのです。

そして小学校高学年になった頃、家族から初めて手術の話を聞きました。そのとき、自分の中にあった不思議な記憶が、ただの夢ではなく実際に体験した出来事だったのだと知りました。

幼い頃の出来事であっても、身体や心には確かに刻まれているものがあります。今振り返ると、この体験もまた、心と身体のつながりや人間の不思議さに関心を持つ一つの原点だったのかもしれません。

母の死が教えてくれたこと

高校3年生の秋、母が亡くなりました。この出来事は、私の人生に大きな影響を与え、今こうして健康に携わる仕事をしていることとも、深いところでつながっているように感じています。母が入院したのは、高校2年から3年へ上がる春休みのことでした。後になって知ったのですが、その何年も前から母自身は体調の異変を感じていたそうです。

それでも、家族に心配をかけたくないという思い、そして病院へ行けばもう帰ってこられないかもしれないという不安から、誰にも言わず一人で耐えていたのでした。やがて体は限界を迎え、母は寝込むようになりました。私たち家族は、疲れか風邪だろうと思っていました。しかし一週間経っても回復せず、病院で精密検査を受けることになりました。

結果は、末期の膵臓がんでした。ただ、その事実は母本人にも、私と弟にも知らされませんでした。母は半年ほど入院しましたが、手術ができる状態ではなく、残された時間を家族と過ごせるようにと退院することになりました。

私たち兄弟は、母が元気になって帰ってこられたのだと信じ、少し安心していました。母も表面上は明るく振る舞っていましたが、本当は自分の残された時間を感じ取っていたのかもしれません。退院した翌日、母は周囲の方々への快気祝いを買いそろえ、美容室へ行き、髪を整えて帰ってきました。そしてその数日後、眠っている間に意識を失い、そのまま危篤状態となりました。

その夜、父から初めて「母は末期がんだった」と知らされました。前日まで普通に会話していた母と、もう二度と話せないかもしれない。そう思ったとき、胸の奥からさまざまな思いがあふれてきました。

もっと感謝を伝えればよかった。
もっと優しくすればよかった。
けんかばかりしていたこと、ごめんなさいと言いたかった。
ありがとうと伝えたかった。

けれど、その言葉はもう届かないのかもしれない――。そんな現実を、私は受け止めることしかできませんでした。結局、母はそれから3か月後、一度も意識を取り戻すことなく旅立っていきました。

健康と人生を見つめ直すきっかけに

母が眠り続けていたその3か月間、私は毎日のように考えていました。人生とは何のためにあるのだろう。人の意識とは何だろう。病気は防ぐことができないのだろうか。自分はこれから、どんな人生を歩めばよいのだろうか。

答えはすぐには見つかりませんでした。考えても考えても、頭の中で同じ問いが巡り続けました。その後、大学へ進学し、会社にも就職しました。けれど心のどこかで、いつも「本当にこのままでいいのだろうか」と感じていました。

そんな思いを抱えながら、健康について学び続け、哲学書や人生についての本もたくさん読みました。多くの人に会い、話を聞き、悩み、迷いながら、何年もかけて自分の道を探していきました。そして、紆余曲折を経てたどり着いたのが、今の整体という仕事です。

今振り返ると、母の死は悲しみだけではなく、私に人生の問いを与え、本当に進むべき道へ導いてくれた出来事だったように思います。

体調の悪化と、自分を見つめ直した日々

高校卒業後、現役で国立大学へ進学することができました。受験勉強から解放され、一人暮らしも始まり、当時の私はとにかく自由を満喫していました。毎晩遅くまで仲間と遊び、昼夜が逆転したような不規則な生活を送っていました。

夜11時でもまだ夕方のような感覚で、深夜2時頃になると「これから遊びに行こうか」というような毎日でした。若さと体力もあり、睡眠不足でも元気に過ごしていましたが、そんな生活を続けるうちに、少しずつ身体のバランスは崩れていきました。

大学3年生の頃から、今まで感じたことのない不調が現れ始めました。一晩眠れば取れていた疲れが抜けなくなり、身体の重さが残るようになったのです。

大学4年になると、卒業研究、論文発表、就職活動など将来へのプレッシャーも重なりました。不規則な生活で弱っていた身体に精神的なストレスが加わり、体調は一気に悪化していきました。全身のだるさ、めまい、吐き気などに悩まされるようになりました。

会社員時代に訪れた限界

それでも何とか大学を卒業し、名古屋の老舗繊維メーカーへ就職しました。福利厚生もしっかりした安定した会社で、周囲からも「良い会社に決まってよかったね」と言われました。

けれど、数年働くうちに、心の中で別の違和感が大きくなっていきました。このままこの仕事を続けながら年を重ねていくことへの不安、「これで本当にいいのだろうか」という問いが日に日に強くなっていったのです。

上司や先輩にも恵まれ、仕事も過酷ではなく、定時で帰れる環境でした。それでも「このままではいけない」という焦りのような感覚が消えませんでした。

自分の人生を生きていない気がする。自分には他にやるべきことがあるのではないか。そんな思いを抱えながらも行動に移せず、悶々と過ごしているうちに、再び体調が大きく崩れました。

学生時代からあっただるさ、めまい、吐き気がさらに悪化し、立っていることすらできなくなってしまったのです。会社も何週間も休むことになり、上司や先輩がお見舞いに来てくれ、病院にも連れて行ってくださいました。

しかし検査結果は「異常なし」でした。病院をいくつも回っても、「疲れでしょう」「風邪でしょう」と言われ、薬をもらって様子を見るだけでした。

なんとか起き上がれるようになっても、微熱は続き、歩けばふらつきました。この先きちんと生活していけるのだろうかと、大きな不安を抱えていました。

今振り返れば、自律神経のバランスを大きく崩していたのだと思います。しかし当時の私はその知識もなく、どう生きればよいのか分からないほど追い詰められていました。

回復への道と、整体との出会い

病院で原因が分からず、薬も効かない中で、「自分で学ぶしかない」と思い、健康について本を読み始めました。その中で知ったのは、症状は結果であり、その背景には生活習慣や心身のバランスの乱れがあるということでした。そして人には本来、自然治癒力という素晴らしい力が備わっていることも学びました。

食生活を見直し、呼吸法を取り入れ、整体、カイロプラクティック、鍼、マッサージ、気功など、さまざまな療法にも触れました。そうして、自分にできることから一つずつ生活を整えていくうちに、少しずつ体調は回復していきました。

この体験こそが、今の私の原点です。不調で苦しむ方の不安やつらさがわかるからこそ、目の前の一人ひとりに寄り添える整体を大切にしています。

自然食品店への転職と、食の大切さとの出会い

自分自身が民間療法に通ったり、自然治癒力を高める本を読んだりする中で、私は食生活の重要性を強く実感するようになりました。身体は毎日食べるものでつくられ、体質や不調、さらには心の状態にも食が影響していることを知ったのです。

その学びを深めるうちに、「食を通して人の健康に貢献する仕事がしたい」という思いが強くなりました。そして思い切って名古屋の繊維メーカーを退職し、仙台の実家へ戻り、自然食品を扱う会社へ転職しました。

そこで学んだのは、人間の健康にとって食べ物が土台であるということです。私自身も食生活を見直し、実践を重ねる中で、体調は少しずつ整っていきました。身体の内側から体質改善を進める中で、やがて「外側からのアプローチも同じように大切なのではないか」と考えるようになっていきました。

カイロプラクティックとの出会い

食だけでなく、筋肉や骨格、姿勢といった身体の構造的なバランスを整えることも、健康には欠かせない要素だと感じるようになりました。自分でできる整体の本を読んだり、体操やストレッチを試したりしながら、身体の外側から整える方法にも取り組みました。しかし、自分で自分の身体を外から整えることには限界も感じました。

健康は本来自分で育てていくものですが、自分では届かない部分を支える専門家の存在も必要だと感じたのです。そして、自分の手で人の役に立てる仕事がしたい、手技療法のプロになりたいという思いが強くなっていきました。さまざまな資料を集め、実際に施術も受けた上で、私はカイロプラクティックの学校へ進むことを決意しました。

自然治癒力を重視していること、理論体系がしっかりしていること、高い専門性があること。そして何より、自分自身が施術を受けたときに感じた「身体がすっきり整う感覚」が、その決め手になりました。学校では、骨格矯正、筋肉調整、神経バランスの調整など、身体を整えるための専門技術を学びました。

操体法との出会い

その後、私の施術観をさらに大きく変える出会いがありました。それが、仙台の医師・橋本敬三先生が創始した操体法です。操体法の大きな特徴は、「施術者が治す」のではなく、「本人の身体が自ら整う力を引き出す」という考え方にあります。施術者は治す人ではなく、その働きを助ける存在なのです。

私は以前から本を通して操体法を知っており、自分で試したり、施術の中にも一部取り入れたりしていました。そしてその効果も感じていました。しかし、本格的に学び始めてから、操体法は単なるテクニックではなく、人間観そのものを含んだ深い哲学であることを知りました。

ご縁があり、橋本先生の流れを受け継ぐ今昭宏先生の勉強会に参加させていただくようになり、私の施術への考え方は大きく変わりました。人の身体を操作するのではなく、身体から教えてもらうこと。症状だけを見るのではなく、その人全体を観ること。治そうと力むのではなく、自然な働きを信頼すること。

そうした姿勢は、施術家としての在り方そのものを見直す大きな学びとなりました。「もともと人間は健康で幸せになるようにできている」という操体哲学にも、私は深く共感しています。操体法を学び、実践を重ねるほどに、その奥深さと可能性に魅了されていきました。現在では、操体法の哲学が当院の施術の柱となっています。そして今もなお、その学びを土台にしながら、独自の研究と発展を続けています。

小学校の卒業アルバムに書いていた未来

小学校の卒業アルバムに、「20年後の自分」というコーナーがありました。そこに私は、「社長」 と書いていました。当時は、どんな会社をつくりたいのか、どんな仕事をしたいのかまでは具体的に考えていたわけではありません。ただ、漠然と「いつか自分で何かをしたい」「自分の力で道を切り開きたい」という思いがあったのだと思います。

そして時が流れ、整体院を開業したとき、ふとその卒業アルバムのことを思い出し、妻に見せました。一人で営む整体院ですから、社長という表現とは少し違うかもしれません。それでも、小学校を卒業してちょうど20年後、32歳の年に開業していたことに気づき、不思議なご縁のようなものを感じました。

懐かしさとともにページをめくっていくと、別のページには「好きな言葉」を書く欄がありました。友達は「友情」「努力」「お金」など、それぞれ思い思いの言葉を書いていました。そんな中で、当時小学6年生だった私は、なんと 「健康!」 と書いていたのです。

その言葉を見たとき、自分でも本当に驚きました。20年間すっかり忘れていましたし、小学生の頃に健康へ強い関心があった記憶もありません。たまたま書いたのかもしれません。けれど、今こうして健康に関わる仕事をしている自分と、その頃の無垢な言葉がつながったように感じ、とてもあたたかく幸せな気持ちになりました。

人生には、その時には意味が分からなくても、後になってつながる出来事があるのかもしれません。そんなことを教えてくれた、私にとって大切な思い出です。

前世について思うこと

前世を信じる方もいれば、そうでない方もいらっしゃいます。私自身、何が絶対に正しいのかを断言することはできません。けれど、これまで人生や心、健康についてさまざまなことを学んできた中で、「前世という視点があるほうが、人はより深く自分を理解し、より生きやすくなることがある」 と感じています。

ここからお話しするのは、あくまで一つの不思議な体験談として、肩の力を抜いて読んでいただけたらうれしいです。

修行僧だったと言われた話

自然食品店で店長をしていた頃、いつもお店に来てくださる不思議なお客様がいました。その方は、野菜や商品と会話をするように選びながら買い物をされる、とても独特な感性を持った方でした。

ある日、ご自宅へ配達に伺った際に突然こう言われました。

「あなたは昔、修行のしすぎで亡くなったの。お坊さんの姿が見える。」

激しい苦行の末、修行の途中で命を落とした僧侶の姿が見えるのだそうです。そして続けて、こう言われました。

「もっと遊びなさい。」

その言葉は、当時の私の心に強く響きました。なぜなら、その頃の私は遊んでいてもどこか満たされず、いつも「もっと自分を高めなければ」「自分には他にやるべきことがあるのではないか」と考えていたからです。

それが本当に前世だったのかは分かりません。ただ、その言葉は今でも大切なメッセージとして心に残っています。

舞台女優だったと言われた話

また別の機会に、仲間の先生方と一緒に前世を観てもらったことがありました。事前に質問をしてよいと言われたので、私は子どもの頃からの「緊張しやすい性格」について尋ねました。

すると、その方は深い集中状態に入り、普段とは違う口調で語り始めました。

そのとき見えた私の前世は、なんと舞台女優でした。芝居小屋のような場所で一座を背負う看板女優として活躍していたそうです。しかし年齢を重ね、若い頃のような華やかさが失われていくことを受け入れられず、ある日、お客さんから心ない言葉を浴びせられたことをきっかけに舞台を去り、その後は寂しく生涯を終えた――そんな物語でした。

本当かどうか確かめる術はありません。ただ、その場にいた別の方々も、着物姿の女性のような共通したイメージを感じたそうです。不思議なこともあるものだと思いました。

今の自分とのつながり

この話を聞いて、私は妙に納得する部分もありました。昔から色や形、美しさ、デザインに対して強い関心があったからです。

子どもの頃から図工や美術が好きで、絵画コンクールで表彰されたこともありました。習字を習っていないのに書道展で入賞したこともあります。今でも、髪型や服装、空間の雰囲気など、細かな変化に自然と目が向きます。

また、人から強く否定されたり、攻撃的な言葉を受けたりすることに対して、人一倍敏感な面もあります。そうした性質も、もし魂の記憶というものがあるなら、何か関係しているのかもしれません。

今世で学んでいること

私は、魂は肉体だけで終わるものではなく、さまざまな経験を重ねながら成長していくものではないかと感じています。そして今の人生には、今の人生ならではの学びがあるのだと思っています。私にとって今世のテーマは、人を信頼すること。心を通わせること。人とのご縁や絆のありがたさを知ることなのかもしれません。

だからこそ、整体という仕事を通して、多くの方の心と身体に触れ、人生の節目に関わらせていただいていることも、ただの偶然ではないように感じています。当院に来てくださる方とも、もしかすると遠い昔、どこかで出会っていたのかもしれません。そして今、このプロフィールをここまで読んでくださっているあなたとも、何かご縁があってこうしてつながっているのかもしれませんね。

長文をお読みいただき、ありがとうございました。

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